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ABOUT オフィシャルサイト メニュー トップページ 特徴・特色 研究領域 教員紹介 入試概要 ARTICLE 記事一覧 トップページへ トークセッション 小野美由紀さん×斎藤真緒教授×大月隆生さん〈前編〉 小野美由紀さん×斎藤真緒教授×大月隆生さん〈後編〉 修了生と教員との対談 権学俊教授×オ・オンユさん 市井吉興教授×清水里佳子さん インタビュー 中西典子教授 武岡暢准教授 柳澤伸司教授 住田翔子准教授 秋葉武教授 石田賀奈子教授 松島剛史准教授 市井吉興教授 高橋顕也准教授 鎮目真人教授 このWebサイトは、立命館大学 大学院 社会学研究科についての 理解を深めてもらえたらと考えて、作成しているものです。 と同時に、「社会学ってなんだろう?」と疑問に思ったり、 興味を持ったりしている人たちも視野に入れ、 そのおもしろさや社会とのつながりなど、 社会学のさまざまな側面に着目することで、 その裾野が広がっていくような内容を目指しています。 「社会学とは何か?」を端的に示すのは難しいと思いますが、 人々との営みとともにつづき、人と人をつないでいく。そんな存在だと思っています。 作家×教授×大学院生で話した 「ジェンダー」問題の背景にあるもの〈後編〉 取材時期:2021年 トークセッション 作家小野美由紀さん 現代社会研究領域斎藤真緒教授 院生大月隆生さん 作家の小野美由紀さんを招いて、SF作家×教授×大学院生の3人で、ジェンダーをテーマに話しました。〈後編〉は、斎藤真緒教授、院生の大月隆生さんの研究テーマを中心に、〈前編〉から引き続き、小野さんの著作『ピュア』についても触れていきます。(2021年11月に開催したトークセッション〈トレイルラーニング〉vol.1の内容をまとめたものです) 斎藤 私がヤングケアラーの研究を始めたのは、1人目の子を産んだあとに、次の子をつくるかどうかですごく悩んだからです。私自身は1人っ子で、子供には絶対にきょうだいがいたほうがいいと考えていましたが、上の子が障害児だったことで下の子に負担を掛ける可能性が出てきました。 社会ではまだまだ、「家族のケアがベスト」という考え方が大きく、ヤングケアラーが追い詰められていく背景には、社会からの「家族なんだからケアができて当たり前」という圧力があります。個人的には「社会の支援があってこそ、家族のケアが成立する」というような流れができたら良いなと思っているのですが。 小野 日本では、介護の責任が家族だけに押しつけられていると感じます。私だったら、自分の介護はプロの方に任せたい。どうしてこんなに家族に依存した社会システムなんだろうと常々思っていました。これって日本だけの問題なんですかね。 斎藤 「家族が果たす役割は大きい」というのは、全世界共通だと思います。その上で日本には、「家族がケアするのが当然」という前提があって、「どうしてもできない時だけ社会で助ける」という考え方になっています。 海外だと、「要介護者の個人個人の困りごとを社会で助ける」という前提があって、そこに対して「家族も関わる」という考え方が多いですね。後者の国々では、「ケアラー自身も弱者である」という考え方が強く、ケアラーへの支援制度も充実しています。こうした流れが日本にも入ってくることで、「家族のケアがベスト」という考え方も変わっていくはずですが、そこまで簡単ではなさそうです。 男性介護者を手助けできる場を作りたい 斎藤 私が男性介護者の研究を始めたきっかけは、2006年の京都伏見介護殺人事件でした。認知症のお母さんを献身的に介護していた当時54歳の男性が、介護疲れでお母さんを殺してしまった。その後自身も自殺しようとしたけど、死にきれなくて警察に自首した。その裁判を傍聴していると、本当にやりきれない気持ちになって、彼のような男性介護者を手助けできる場を作りたいと考えました。 小野 日本では、男性が介護殺人を犯してしまうケースが目立っている気がします。男性介護者と女性介護者には、何か違いがあるんでしょうか。 斎藤 男性介護者には、頑張りすぎて「仕事のようにケアする」という人が多いんですね。介護の本を買って熱心に勉強したり、苦手な家事をがんばりすぎてしまったり。 でも、介護を仕事として捉えると、どうしても苦しくなってしまう。普通の仕事なら頑張った分だけ評価されて、昇進したり給料が上がったりします。介護の場合だと、自分がどれだけ頑張っても相手が老いていくという現実から逃れられない。「こんなに頑張っているのに報われない」というやるせなさがあるわけです。 男性介護者には、そこでSOSを出しにくい人が多いと感じています。男性は職場で、競争に勝つこと、相手に弱みを見せないことが求められる場合が多く、「SOSを出したら負け」という思考に陥りやすいのかなと思っています。 小野 わかる気がします。斎藤先生は、彼らを手助けするためにどんなことが必要だと思いますか。 斎藤 男性介護者には、「妻の下着を買いに行くのが恥ずかしい」「親の下の世話がすごくつらい」といった悩みも多いのですが、これらの悩みを誰にも相談できず、1人で抱え込んでしまう場合が多いですね。そこで、男性同士で悩みを相談し合えるようなコミュニティをつくりました。女性が立ち入らない場所なら、普段は言えないような悩みも正直に相談できるようです。 小野 女性が男性のケアをしないというのが珍しいですね。これまでの社会には「男性の聞き役になるのは女性」というステレオタイプの価値観があったような気がします。そのなかには、「男性が女性の下着のサイズを知っているのはおかしい」とか、男性に対する偏見もあった。男性だけのコミュニティなら、男性も男性らしさの偏見から抜け出すことができますよね。 斎藤 男と女が入るとややこしいんですよ。『ピュア』でも男と女のややこしさや、近い関係であるがゆえのややこしさを意識されていますよね。家族のややこしさとか、母親であることのややこしさとか。 小野 『ピュア』では、全編を通してシステムの中に飲み込まれている個人を描いています。世の中から押つけられた「らしさ」から逸脱するのは大変。私も押しつけられた「妊婦像」から脱却しようと足掻いていますが、うまくいかずにがっかりすることが多い。産婦人科で「ママ」と呼ばれたときも、即座に「小野です」と切り返したけどスルーされてしまいました。 「非当事者」を「当事者」として扱うには? 小野 大月さんはさっき控え室で、「ジェンダーを研究するなかで、『女性の生理用品のゴミをどう処分すべきか分からない』という男性特有の悩みに気づいた」っておっしゃっていましたよね。あの話、もっと詳しく聞きたいです。 大月 学部生の頃、ジェンダーに関するいくつかのアクションのなかで「男性は生理の非当事者なのか」という疑問が生まれました。ここで想定する男性は、性自認と身体的性が一致しているシスジェンダーの男性です。「身体で経験しない経験」を明らかにしようとしたとき、そもそもどう現せば良いのか分からない経験が山ほどあることに気づきました。そのうちの1つが、トイレに捨てられた生理用品でした。 女性と同棲している男性のなかには、トイレのゴミ箱の生理用品をどう処理すべきか分からない人がたくさんいます。ゴミ箱をきれいにしたいけれども、「生理用品を捨てても良いか」と聞くこと自体がセンシティブ。ほかにも、女性の生理痛やPMS、生理周期に対してなど、どう配慮して良いか分からないことが多くあります。本人には聞きにくいし、かといって友人にも相談できない。 そこで、「生理の非当事者」として扱われてきた人達の経験を類型化し、明らかにすることで、「生理の非当事者」を「当事者」として扱いたいと考えたんです。 斎藤 妊娠も、本来ならば女性と男性の共同作業なのに、女性だけが当事者として扱われがちですよね。以前「死産」に関する論文を読んだんですけど、そこでも悲しみの主体はお母さんとして想定されていて、お父さんはお母さんの悲しみを支える存在として勝手に想定されている。お父さんは赤ちゃんとの身体的なつながりがないということから、悲しみが置き去りにされてしまっているんです。 でも、お父さんはお父さんなりに赤ちゃんとのつながりを感じていて、その死に対して悲しみを抱いているはず。だから、非当事者の経験に光を当てて、見える化するのは大切だなと。 大月 『ピュア』の収録作品『エイジ』にも、そんな描写がありましたよね。「子供のころから工場労働しかしたことのないエイジは、マニュアルを読んだり、業務日報を書いたりできるぐらいの読み書きしか学校で教わっていなかった。だから感情を表す語彙が圧倒的に足りない」という。 小野 男性読者からは、エイジに対する感想がダントツで多いですね。男性は本当に、「悲しい」「苦しい」「辛い」といった言葉を口にしづらい生き物です。これらの感情がないわけじゃないのに、まるでないもののように扱われる。さっきの「死産」の話もそうですね。 大月 非当事者も当事者の経験を意識して体験することは可能だと思います。例えば、収録作品の『バースデー』では、女性から男性に性変容手術を受けた高校性が、「男になってから、街を歩いて変な奴に声を掛けられたり、ぶつかってこられたりすることがなくなった」と言うシーンがあります。それを読んで、自分がパートナーと街を歩いているときのことを思い出しました。 僕は男で、見た目もいかついので、1人で歩いていると皆が僕を避けていくんです。でも、パートナーは女性で、小柄なのもあり、一緒に歩いているとキャッチの人に道を塞がれたり、変な人にぶつかってこられたりする。 女性に決定権がないのに責任を課せられる 小野 たまに、「若い女性が公園のトイレで子供を出産して遺棄した」といったニュースがありますが、あれは、必ずしも女性だけの責任ではないと思うんです。 例えば、中絶希望の女性が産婦人科に行くと、「男性の同意が必要です」と言われる。中絶自体は男性の同意がなくてもできるんだけど、そこの説明をしっかりしてくれるお医者さんは少ないと思います。中絶したい女性にもそれぞれの事情があって、必ずしも男性の同意を貰える人ばかりではありません。レイプされてしまった人や、妊娠を告げたとたん相手の男性に逃げられてしまったような人もいるでしょうし。 そんななかで選択を急かされて、1人で高額な中絶費用を負担しなければいけない。女性自身には生殖の決定権がないのに、女性だけが責任を課せられるという場面があまりにも多いと思っています。 斎藤 本当は、「産む」「産まない」のほかにも、「産むけど育てない」という選択肢があってもいい。高額なお金を払って不妊治療しているような人がいます。海外の場合は、養子縁組や里親に対する関心が強く、しっかりとした支援制度が組まれていることも多いですが、日本の場合は血のつながりに対するこだわりが強く、社会的関心も薄いと感じます。 そもそも私は、子育てを行うのは必ずしも父と母のペアじゃなくて良いと思うんですよ。男性同士、女性同士で子育てしても良いし、シングルで子育てしても良い。逆に多人数で子育てしても良いと思う。 小野 子育てが男女ペアだけじゃなくていいという考えには、非常に共感します。最近、SF作家の講師としてSFプロトタイピングのセミナーに参加しています。SFプロトタイピングは、SF(サイエンスフィクション)をベースに未来を想像して、企業の商品開発やシステム開発に活かそうという考え方。 社員それぞれが、「2050年の社会はこうなっているだろう」などの仮説を立てて、その社会のなかでどんな生き方をしているか、どんな考え方をしているかなどを想像して、小説にまとめていくものです。みんなで未来予測することで、「こんな未来は楽しそう」とか、「こんな未来は嫌だ」とか、リアルな喜怒哀楽が生まれて思考が高まります。 SFプロトタイピングをやっていると、今は可視化されていないことも、「これはこれでありだな」って思えてくる。新しい可能性を自由に想像してみることって、大切ですよね。 前編はこちら 小野美由紀 ONO Miyuki 作家。1985年東京生まれ。2020年4月刊行の、“女性がセックス後に男性を食べないと妊娠できない世界になったら?”を描いた恋愛SF小説『ピュア』が早川書房のnoteに全文掲載され20万PV超を獲得。著書に、『メゾン刻の湯』(ポプラ社)、絵本「ひかりのりゅう」(絵本塾出版)など。 斎藤真緒教授 SAITO Mao 研究テーマ 家族介護者支援に関する比較研究、デートDV予防プログラムの開発 研究者学術情報データベース https://research-db.ritsumei.ac.jp/rithp/k03/resid/S002294 大月隆生 OTSUKI Takao 社会学研究科 博士前期課程2回生(2021年時点) トップページへ Site Policy Privacy Policy 立命館大学 大学院 社会学研究科オフィシャルサイト © Ritsumeikan Univ. 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