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一般的にハッピ(法被)はお祭りや盆踊りなどの行事、様々なイベントの際に着用したり、旅館などでもみらるなど、様々な場所で着用されています。本学においては、1925(大正14)年の創立当初からハッピを着用する学生の姿があり、その後、着用する場面や用途は変化しながら、現在まで学生が着用する姿がみられます。時代が変わるとともに変化する学生のハッピ姿をみていきましょう。 外国語学校時代 最初のハッピ姿が確認できるのは、天理外国語学校が創立して間もない頃です。第1回の入学式から約1ヶ月後の1925(大正14)年5月23日、北但馬地震が起こり、その直後、男子学生らは被災地へ救援活動として、ひのきしんに出向きます。このとき全員が襟に白抜きで「天理外国語学校」と書いたハッピを着用しています。ひのきしんとは「天理教信者の積極的な神恩報謝」(『天理教事典』第三版)である労働奉仕を指します。 「天理教と言えばハッピがトレードマーク」(『天理教事典』第三版)といわれるように、天理教といえば黒いハッピを連想する人も少なくないでしょう。天理教は、日常的に、また公的式典やひのきしん活動でもハッピを着用します。天理教の教師養成機関として1900(明治33)年に創設された天理教校では、1920(大正9)年の別科第24期から、ひのきしんを正科として課し、生徒らは毎日午前中は学科を受け、午後はハッピを着てひのきしん活動に従事しました。一方、天理外国語学校は1925(大正14)年に創立し、当初は天理教信者の中から入学者を募集していました。北但馬地震の被災地救援活動としてひのきしんに出向くことが決まってから全員でハッピを揃えたとは考えにくく、生徒全員が天理教信者であることと、すでに、天理教校生らがハッピ姿でのひのきしんをおこなっていたことなども踏まえると、入学と同時に「天理外国語学校」という文字で統一したハッピを誂えていたものと考えられます。 1925年5月30日 ひのきしんに出発する前に神殿に参拝 1932年頃か。校舎(1号棟)前で土持ちひのきしん(集成部史料掛所蔵) 襟には「天理外国語学校」とあり、背には天理外国語学校の校章がみえます。写真をみると、女子学生も同様に、背に校章が記されたハッピを着ているのがわかります。 ひのきしんで校舎(1号棟)前を掃除する学生(集成部史料掛所蔵、一部加工) 校舎(1号棟)の窓拭きをする女子学生のハッピの背印に校章が描かれているのがわずかに見える(集成部史料掛所蔵、一部加工) 1928(昭和3)年に、それまでの天理外国語学校は女子学生のみを収容する天理女子学院として校名変更し、天理外国語学校は新たに専門学校令による男子のみの学校として、それぞれ歩み始めました。しかし、授業はそれまで通り校舎(1号棟)内の同じ教室で共に受けていました。天理女子学院が校舎(1号棟)を離れ、学則を改正し、新たな形で出発するのは1935(昭和10)年からです。1934(昭和9)年に入学した女子学院生が、翌1935年に撮影した写真をみると、ハッピの襟には「天理外国語学校」と書かれています。入学時に天理外国語学校の男子学生らと共に誂えたのでしょうか。その後、学則変更後に入学した女子学院生のハッピの襟には「天理女子学院」と記されています。 1935年。写真裏に「外語ひのきしんの帰途」と書かれている(神谷幸子氏提供) 1938年。天理女子学院と書いたハッピを着てひのきしん 天理大学発足から改組(1991年)まで 戦後の学制改革に則り、本学は天理語学専門学校(天理外国語学校から改称)から天理大学へと大きく生まれ変わりました。新制天理大学となってからは、これまで紹介したハッピの性格とは全く異なり、学生が着るハッピは大学祭などのイベント時に学生団体が着用するものに変わっていきます。 なお、本学の学生団体には学生自治会(心光会)があり、その中に文化総部及び体育総部に所属する各部があります。その他、本学公認の信仰団体、同好会、学科・コース会が存在します。信仰団体はよふぼく会と称し、天理教の信仰活動を積極的に推し進めていく学生団体です。学科会は各学科・コースによって組織され、各学科研究室の教員の指導のもと、専攻の学術研究を深め成果を発表したりする場であると同時に、体育大会、大学祭などへの参加、新入生歓迎会や夏合宿などの行事を開催するなど親睦を図ることを目的とした団体です。 例えば国際学部外国語学科英米語専攻はアルビオン会、中国語専攻は崑崙会、韓国・朝鮮語専攻は金剛会を組織しており、これらは外国語学校時代から引き継がれる名称です。大学発足後に文学部など外国語以外の学部が発足し、人間学部宗教学科は成人会(発足時は文学部)、国文学国語学科は国文学国語学科会、体育学部は杣友会という学科会を組織し、その他新たな学科が発足すると、その学科で組織する学科会が生まれました。各会で3年生を中心に会長、副会長その他の役員を決め、学科会活動をおこないます。役員は、幹部交代式をもって新たな学年に引き継がれ、各年の役員を中心として活動します。また各学科の研究室とは別に、クラブハウスのような学科会室が心光館に設けられており、各学科会はこの部屋を拠点としています。このように学科会とは他校にはない本学特有の伝統ある組織形態です。かつての大学祭では、杣之内ふるさと寮南寮及び北寮、各学科会、よふぼく会、がそれぞれ団体ごとに自分たちで創作した御輿を担ぎ、大学と天理駅の間を練り歩くパレードがおこなわれていました。近年では灯籠を造って展示していますが、これはこの御輿が変化して引き継がれたものです。この御輿パレードが、次第に各学科会のハッピを生み出すきっかけとなっていきました。 1971(昭和46)年の大学祭の御輿パレードでは、成人会(当時は文学部宗教学科)が、襟に「天理大学成人会」背に「天理教」と書いた黒いハッピを着用しています。またハッピの帯には、成人会で代々引き継がれる役職名が刺繍されたものを使用していたとのことです。宗教学科は天理教学を専攻とし、天理教学一般と宗教学一般を学ぶ学科として誕生しました。したがって、成人会のハッピはイベントのために作られたものではなく、全国のハンセン氏病療養所への慰問や、チャリティーイベントの開催といったひのきしんや、天理教の信仰行事を行う際に着用するためのもので、のちに誕生する他学科のハッピとは考え方が異なるものです。1974(昭和49)年の大学祭では、 成人会は襟に「よふき」と書いたハッピを着ています。なお、まだこの頃は、他学科にハッピはありませんでした。 ハッピの着用については、本学の服装規程でも触れています。1956(昭和31)年、「ひのきしんを実施するとき以外は、法被を着用して登学してはならない」とあり、それから30年以上経過した1994(平成6)年では「教会本部、ふるさと講の全学参拝、天理教行事、ひのきしんなど以外では、ハッピを着用しての通学はひかえてください」と学生生活心得に記されています。 1971年。「天理大学成人会」のハッピ 1974年。「よふき」と書かれたハッピを着る成人会 同時期の杣之内ふるさと寮北寮生たちは、それぞれ自身が属する天理教教会のハッピを着用しています。杣之内ふるさと寮の南寮生たちは、袖なしの赤いハッピを着ています。これより先数年間は、同じ格好で御輿を担ぐ姿が写真で確認できますが、このハッピの由縁についてはわかっていません。ちなみに、南寮がつくる御輿は、天理本通り商店街に店を構える酒店「稲天」の酒樽を積み上げ、頂点に鳥を乗せるのが伝統的なスタイルでした。この鳥は、寮の本館玄関前が「金鶏丘」と呼ばれており、その名にちなんでいるといいます。 1972年。杣之内ふるさと寮南寮生 1983年。杣之内ふるさと寮南寮生 軽音楽部アルスジャズオーケストラ(ALS)は、1974(昭和49)年10月28日におこなわれた3rdリサイタルに合わせて、本学教員であった三輪守男氏がデザインしたハッピを作りました。襟には「あるすいんじゃず」とあり、背には、同部のマークが入っています。同年の御輿パレードにおいても、この真新しいハッピを着てパレードを先導し盛り上げました。なお、古くなったハッピは新調されてはいますが、色、デザインとも変わることなく現在でも引き継がれています。 1974年 アルスジャズオーケストラ 2017年 アルスジャズオーケストラ 1980(昭和55)年の国文学国語学科会が担ぐ御輿では、ひとりだけハッピを着た学生が参加している姿が確認できます。これは漫画研究会のハッピで、当時、漫画研究会の部員には国文学国語学科の学生が複数名所属しており、他の同好会やクラブでは作っていなかったハッピを独自に作り、国文学国語学科会の御輿を担ぐ際にも着用して参加していたようです。黒地に白抜きの文字と絵柄なので、天理教のハッピを真似て作ったのかもしれません。数枚しか作られなかったこの漫画研究会のハッピですが、現物が卒業生の自宅に保管されていました。なお、漫画研究会は2005年に活動を休止しています。 1980年。国文学国語学科会の御輿 漫画研究会のハッピ(上村(旧姓:池田)一水氏提供) 漫画研究会のハッピ(上村(旧姓:池田)一水氏提供) 1981年。杣之内ふるさと寮北寮 1981(昭和56)年の杣之内ふるさと寮北寮が作った御輿には、当時の人気アニメのキャラクターに似せた人形が乗せられ、その人形にもハッピを着せているのがわかります。 同年、襟に「天理大学外国語学部中国学科」、背に「崑崙」のマークを入れた崑崙会の黒いハッピがみられます。崑崙会がハッピを作成した明確な時期は不明ですが、おそらくこの時期に作成したと考えられます。当時、外国語学部の中でハッピを着ているのは、崑崙会だけでした。なお、背中の「崑崙」のマークは、天理外国語時代から引き継がれたとみられる崑崙のバッジをモチーフにしているそうです。 1981年。中国学科崑崙会 1991年頃。中国学科崑崙会 インドネシア学科ドリアン会は、1986(昭和61)年に黒いハッピを作成しました。作成当初は、背にインドネシアの国章であるガルーダの図柄を入れたものだけでしたが、1990(平成2)年頃の写真では背に「印」と書いた図柄のハッピも確認できます。外国語学部の中では、崑崙会だけがハッピを作っており、それに影響を受けて作ったそうです。学祭の御輿を担ぐ時に着用するために、学科会費とは別に数千円ずつ集めて作られました。 1990年頃。インドネシア学科ドリアン会 1990年頃。インドネシア学科ドリアン会 1987(昭和62)年頃から次第に、これまでハッピを作っていなかった学科会でもハッピ姿をみるようになります。そして黒色ではなく、それぞれ異なるカラフルなハッピを作ります。フランス学科フランス会のハッピの作成年代は明確ではありませんが、おそらく1987(昭和62)年に作られたとみられます。 1987年。フランス学科フランス会 1991年頃。フランス学科フランス会。表彰式にて胴上げ 朝鮮学科金剛会は、背に「金剛会」と書いた紫色のハッピです。1979年入学の卒業生によると、朝鮮学科では学科会活動に参加する学生は少なかったそうです。中でも、朝鮮学科の女子学生の割合は大変少なく、1988年以前は女子の卒業生は毎年5名に満たなかった状態でした。しかし、1989年以後は10名以上に増加しています。おそらく女子学生が増えてきた頃からハッピも作るようになったのではないか、ということです。 1987年。朝鮮学科金剛会 1991年頃。朝鮮学科金剛会。御輿のトラの人形もハッピを着ている ドイツ学科エルベ会。襟には「TENRI UNIVERSITAT DEUTSCHE ABTEILUNG」の文字、背には大きく「独」とあります。カラーの写真をよくみると、水色のハッピを着ている人がほとんどですが、エンジ色のハッピもあります。作成年代は明確ではありませんが、おそらく1987(昭和62)年に作られたとみられます。 1987年 ドイツ学科エルベ会 1991年頃。ドイツ学科エルベ会 イスパニア学科コリーダ会のハッピは1989(平成1)年に作られました。左襟に「イスパニア学科コリーダ会」、右襟に「UNIVERSIDAD DE TENRI」とあり、背にはToro(闘牛)を描いています。また、同年に学科会名をイスパニア会からコリーダ会に変更しました。なお、 イスパニア学科コリーダ会では、大学祭で振る舞う模擬店は学科会所有の大鍋で作るパエリアを出して、御輿はToro(闘牛)を作るのが伝統的な決まりで、それが毎年恒例となっていました。 1990年。イスパニア学科コリーダ会が作るパエリア 1991年頃。イスパニア学科コリーダ会 英米学科アルビオン会は1990(平成2)年にオレジン色のハッピを作成しました。 1990年。英米学科アルビオン会 1991年頃。英米学科アルビオン会 ロシア学科ボルガ会の黄色いハッピの作成年代は明確ではありませんが、おそらく1990年頃に作られたとみられます。なお、ボルガ会は卒業生の豊島坦氏、岡林宏侃氏が1954(昭和29)年に同窓会として発足させたのが始まりです。 1990年 ロシア学科ボルガ会 1991年頃 ロシア学科ボルガ会 国文学国語学科は襟に「天理大学文学部国文学国語学科会」とあり、「学」や「国」「会」の文字に旧字体を用いています。背には学科名の通称である「国文」という文字を入れています。1990(平成2)年の大学祭に合わせて作成されました。当時の学科会長によると、すでに他学科がハッピを着て大学祭や新入生歓迎コンパなどに参加している姿をみて、自分たちもハッピを作って学科会活動を盛り上げようという気持ちから作成に至ったそうです。作成時には、文字は旧字体を使うことに拘り、色は他学科と重ならない色を選択しました。 1991年頃。国文学国語学科会 1991年頃。国文学国語学科会 体育学部体育学科杣友会は、黄色のハッピです。いつ作成されたかは明らかではありません。 2023年度 杣友会会長(2023年9月撮影) 2023年度 杣友会会長(2023年9月撮影) 1992年の改組以後 1994年。人間学部人間関係学科三矢会 1992(平成4)年の改組により、それまでの学科会に加え、新たに人間学部人間関係学科三矢会、文学部歴史文化学科朱雀会が創設されました。また、外国語学部は国際文化学部となり、これまでの外国語系の学科に加え、日本学科大和路会、タイ学科サヤーム会、ブラジル学科ベイジャフロール会が誕生し、各会でもハッピが作られました。 人間学部人間関係学科三矢会は襟に「TENRI UNIVERSITY HUMAN RELATIONS」とあり、背には「SANSHIKAI」とS字のマークが描かれています。 文学部歴史文化学科朱雀会は襟に「天理大学 朱雀会」「歴史文化学科」とあり、背には対になって向かい合う朱雀が描かれています。作られた当初は学科会長特定のハッピはありませんでしたが、のちに「会長」と書いたハッピも誕生します。 1994年。文学部歴史文化学科朱雀会 2005年。襟に書かれた「朱雀会」の文字に続けて「会長」の文字が付け加えられている 日本学科大和路会はシンプルに「天理大学日本学科」と襟に書いた赤地のハッピを着ています。1997年にこのハッピを作製しました。 1999年。日本学科大和路会 タイ学科サヤーム会は、ピンク色とグレー色の2種類があり、襟の文字もタイ語で書かれているもの、「サヤーム会」と書かれたもの、背に「泰」と書かれたものなど、様々です。 1999年。タイ学科サヤーム会 ドイツ学科エルベ会では、先の写真ではブルー系のハッピを着ている人が多くありましたが、1993年はエンジ色がほとんどになっています。また、背には「独」という文字や、ドイツ国旗の三色をあしらった図柄が入っています。 1993年。ドイツ学科エルベ会 英米学科アルビオン会では、背の絵柄がないもの、背の文字が反転しているもの、また絵柄も数種類あり、様々なハッピが作られています。 また2016(平成28)年の写真をみると、少しずつ変化しながらハッピが受け継がれていることがわかります。 1993年。英米学科アルビオン会 2016年。外国語学科英米語専攻アルビオン会 中国学科は改組により学部が変更し、それにあわせて「 天理大学国際文化学部中国学科崑崙会」と書いたハッピに変えています。 また黒地でしたが、白地のハッピも登場するようになります。 1994年。学部名が変更されたハッピ 1999年。 インドネシア学科ドリアン会では、「ドリアン会会長」「ドリアン会副会長」と裾に書いたハッピも登場します。 これは、ハッピが作られた当初にはなかったようです。 1994年。「ドリアン会会長」と書いたハッピ 1994年。「ドリアン会福会長」と書いたハッピ 2003年の改組以後 2003(平成15)年以後も、幾度か改組がおこなわれ、学科の変更とともに、学科会も変化していきました。また、次第にハッピ姿にも変化がみられるようになります。近年では、体育祭は学科会ごとに統一したユニフォームを作成し、大学祭では学科会ごとにパーカーを作成しています。他学科会と色が重ならないように、お互いに決めながら作成しています。ハッピは体育祭の開会式などの場で学科会役員が着用するといった形式が定着しています。 2003年には、国際文化学部はアジア学科とヨーロッパ・アメリカ学科の2科11コースに編成され、アジア学科の中に金剛会やドリアン会などが、ヨーロッパ・アメリカ学科会の中にアルビオン会やフランス会などが組み込まれました。 2008年。ひのきしんデーに窓拭きをする学生。崑崙会・サヤーム会・ドリアン会・金剛会を含めたアジア学科のパーカーを着て 2012年。多くが、揃いのパーカーやウィンドブレーカーを着ている。その上からハッピを着ている学生が数人いる 2010(平成22)年には国際学部は外国語学科と地域文化学科の2学科になり、外国語学科に入る英米語専攻アルビオン会、中国語専攻崑崙会、韓国語専攻金剛会、日本語専攻大和路会以外の学科会はなくなり、地域文化学科に入るアジア・オセアニア研究コースのパンコラ会、ヨーロッパ・アフリカ学科研究コースのユーリカ会、アメリカス研究コースのコンドル会へと変わっていきます。 2013年。地域文化学科アジア・オセアニア研究コース パンコラ会 2014年。地域文化学科ヨーロッパ・アフリカ研究コース ユーリカ会 2014年。地域文化学科アメリカス研究コース コンドル会 2014年。国文学国語学科のパーカー また2015(平成27)年に新たに外国語学科に加わったスペイン語・ブラジルポルトガル語専攻はアルコイリス会として発足します。2023(令和5)年には医療学部が発足し、医療学部学科会として新たに誕生しました。また、これまでのパンコラ会・ユーリカ会・コンドル会はひとつの学科会として統合され、チャールド会として再出発することになりました。このように学部学科の改組とともに、学科会も消滅、または新たに誕生するなど、あらゆる変化を遂げています。 2016年。外国語学科スペイン語・ブラジルポルトガル語専攻アルコイリス会 2015年。大学祭初夜祭の音楽ライブで、各学科会のハッピを着て盛り上がる 大学及び寮のハッピ 大学や寮にも、それぞれのハッピがあります。これらはすべて天理教のハッピで、襟にはそれぞれの施設名が記されていますが、背には「天理教」とある黒いハッピです。なお、現在は前栽ふるさと寮及びクラブ関係寮以外はすべて閉寮しています。 1989年 「天理大学」のハッピ。橋本武人氏と大久保昭教氏。両氏とも元本学学長 1990年 杣之内ふるさと寮 田井庄ふるさと寮 1964年4月 中寮分寮(さつき寮) 豊田ふるさと寮(2023年9月27日撮影) 1989年 豊井ふるさと寮 ご協力のお願い 各団体のハッピを調べるにあたり、たくさんの卒業生や教職員の皆様にご協力いただきました。ありがとうございました。しかし、作成にあたっての経緯や時期など、まだ不明な団体がたくさんあります。ハッピにまつわるエピソードなど、ご記憶にあること、もしくは資料、またハッピそのものをお持ちの方がございましたら、ぜひ年史編纂室までお知らせください。 参考資料 『天理教事典』第三版 「天理時報」1945年6月10日 『キャンパスライフ2023年度版』天理大学 (年史編纂室 吉村綾子) 資料提供のお願い 本学に関係する資料や、またはそれに関する情報を継続して収集しています。 皆さまからのご連絡をお待ちしております。 詳しくはこちらをご覧ください(PDF)ダウンロード お問合せ先 関連リンク 天理大学百年史 2023.09.27社会連携地域・企業との連携私立大学研究ブランディング事業社会医療法人高清会、天理市福祉政策課との連携事業「身体いきいきチャレンジⅡ」を実施 2023.09.28学長室学部学科改組の認可に係る記者発表を実施 一覧へ戻る HOMEニュースハッピ【天理大学百年史コラム(27)】 教育情報の公表 お問い合わせ 資料請求 天理大学は公益財団法人大学基準協会の大学基準に適合していると認定されています 天理大学の自己点検・評価活動 > © 2014 Tenri University 杣之内キャンパス 〒632-8510 奈良県天理市杣之内町1050 体育学部キャンパス 〒632-0071 奈良県天理市田井庄町80 別所キャンパス 〒632-0018 奈良県天理市別所町80-1 受験生の方へ 在学生の方へ 保護者の方へ 卒業生の方へ 外国人留学生の方へ 高校教職員の方へ 企業・一般の方へ 採用情報 リンク プライバシーポリシー 人文学部 国際学部 体育学部 医療学部 大学院 天理大学について 入試情報 教育・研究 学生生活 キャリア・資格支援 国際体験 社会連携 まほろば募金 学校法人天理大学 自己点検・評価活動 採用情報 リンク プライバシーポリシー © 2014 Tenri University 入試情報 訪問者別 受験生の方 在学生の方 保護者の方へ 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