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HOME 読み物一覧 冊子「青いスピン」 作品募集 リンク お問い合わせ HOME 読み物一覧 イチゴ 創刊号 2022,9月号 2023/04/03 イチゴ 朝あさ比ひ奈なあすか 物語  ピッ。三百九十八円。 スーパーのレジで働いている真ま由ゆ美みは、その日、バーコードリーダーで読みこんだイチゴの値ね段だんを見て、春が来た、と思った。  旬しゅんのものの値下がりは、季節の移うつり変かわりを告つげる。後で買って帰ろうか。真由美の子こ供どもたちはイチゴが好きだ。 夫の俊とし通みちは夜行バスの運転手で、今夜は帰らない。中学二年の息むす子こ・翔しょう太たと、小学三年の娘むすめ・結ゆ愛あとの、母子三人の夜。本音を言えば、三百九十八円というのも安くはないが、たまにはぜいたくもいいだろう。父親がいない夜は、あの子たちもさびしいはずだ。  しかし仕事を終えた時間に、目当てのイチゴは売り切れていた。真由美は、肩かたを落とした。立ちっぱなしの仕事なので、足がじんじん痛いたむ。 帰りの途と中ちゅうに 、苦手な道がある。それほど広くないのに、大通りへの抜ぬけ道みちとなっていて、スピードを出した車がびゅんびゅん通るのだ。申もうし訳わけ程てい度どに白線一本引かれただけの歩道を自転車で走る。たまにランドセル姿すがたの子がてくてく歩いているのを見かけるが、本当に危あぶない道だと思う。 アパートに着いて、ドアを開けると、玄げん関かんに翔太の靴くつがあった。「ただいま。翔太。帰ってんの?」 返事がない。 「返事がないから入るよ。」 真由美は、わざと能のう天てん気きをよそおった声で言いながら、子供部屋のふすまを勢いきおいよく開けた。 ベッドにうずくまっていた翔太が顔を上げた。その目は真っ赤だった。「勝手に入んなよ!」 即そく座ざに体の向きを変え、翔太は耳にイヤホンを付けたまま、手にしたスマホをいじり続ける。丸めた背せ骨ぼねが思いがけず細い。 真由美は立ちつくす。 息子の背中に手をそえる自分を想そう像ぞうする。あるいはスマホをもぎ取って、問いつめる自分を。 学校で何があったの? 大だい丈じょう夫ぶ ? 答えは分かっている。大丈夫。ほっといて。 いつのまにか、子供の心の中が見えなくなった。 何と話しかけようかと思っていると、玄関から「ただいまあ。」と元気な声がした。結愛が、学童から帰ってきた。 「ねえ、お母さん、聞いてる?」 結愛にシャツを引ひっ張ぱられ、「危ない!」  まな板で野菜を切っていた真由美は、つい険けわしい声を発した。 学童から帰宅した結愛は、真由美の隣となりでずっとしゃべり続けている。注意すると少しむくれるが、でもまたすぐ話しだす。友達のこと、先生のこと、休み時間の遊びについて。真由美は、火の通りがよくなるように、野菜も肉も細かく切る。 カレーの仕し込こみが終わると、真由美は、「今からちょっと買い物に行くから、留る守す番ばんお願いね。」 と、結愛に言った。「私わたしも行く!」「自転車でちゃっちゃと行っちゃうから、結愛は家にいて。ユーチューブ見てていいから。」 そう言うと、結愛はだまる。「七時からご飯ね。」 真由美は、翔太にも聞こえるように大きな声で言うと、施せ錠じょうし、アパートの外階段を急いで降おりた。そして、さっきまで働いていたスーパーへ自転車を走らせた。 夕食前の店内は混こんでいた。 買い物かごを手にするのももどかしく、真由美は足早に果物のコーナーを目指す。 あった。ほっとして、残っていたイチゴのパックをそっと手に取った。安いイチゴは早い時間に売り切れてしまったが、高級ブランドのイチゴはまだ残っていた。その値段に一いっ瞬しゅんひるむが、買いたかった。イチゴをナイロン袋ぶくろに入れて、空気をふきこんで丸くふくらまし、入り口をだいじに結ぶ。 自転車のペダルをこぐと、夜風が頬ほおにふきつけた。前かごに入れたイチゴのナイロン袋が風を受けてシャラシャラと音を立てる。夜目に車のライトがまぶしい。やっぱり危ない道だ。多くの車は真由美の自転車を追おい越こすときに速度をゆるめてくれるが、たまに思いやりのない車が横をシューッと飛ばしていく。ダンプカーにそれをやられて、ひやりとした。 ――何かが起こってからじゃ、遅おそいのにね。 ふと、スーパーで働く人たちがこの道について話していたのを思い出す。ガードレールを付けてくれればいいのにね。誰だれかが言った。そうよ、そうよ、と皆みな が言った。 どうしてなんだろう。 真由美は思う。あれを聞いたのは一年以上前のことだ。 どうしていまだにガードレールは付いていないのだろう。 「カレーだよ。」 真由美が陽気な声を出すと、腹はらをすかせた子供たちはすぐやってきた。「やったあ! カレーだ! おいしい!」 結愛がはしゃぐ横で、翔太はもくもくと食べている。 翔太の食しょく欲よくがあることに、真由美はひそかにほっとした。自転車を走らせた足は、かたく張っていて、正直立っているだけでくたくただったが、立ち上がり、子供二人に水のおかわりをくむ。「翔太、どう? カレーの味は。」 結愛のおしゃべりをさえぎり、真由美は、ずっとだまっている翔太に問いかけた。翔太はどこか焦しょう点てんの定まらない、暗い目をしていた。「どう?」ともう一度きくと、はっと顔を上げ、「何が?」と言う。「お兄ちゃん、ぼんやりしすぎ!」 結愛が笑う。「うるせえな。」 言い返すその声にも、いつもの張りはない。  食事を終えた後、真由美は結愛に「向こうの部屋に行っていて。」と言い、それから翔太に「ちょっと話すよ。」 と声をかけた。 「は?」「ええ、なんで?」 子供二人の不満げな声が重なった。「お兄ちゃんに、だいじな話があるの。」 部屋にいたがる結愛に「ユーチューブ見てていいから。」 とタブレットをわたした。ようやく翔太と二人きりで向き合う。「あのさ、学校で嫌いやなことがあるんじゃない?」 真由美は率そっ直ちょくにたずねた。「え、なんで?」 翔太がきく。「顔を見てれば分かるよ。」 翔太は無む視しし、スマホをいじりだす。「いつもスマホばっかり見てるけど、そんなに何を見てるの。」 そうきくと、警けい戒かいする顔になりスマホを置いた。「何でもないよ。」「翔太。言ってくれなきゃ、何も分からないよ。」「だから、何でもないって言ってるし......。」 と言って、そのまま出て行こうとした翔太に、「お母さん、帰り道、こわかったんだよ!」 と、真由美は言った。 は? というふうに口を少し開けて、翔太は母親を見下ろす。真由美も、口をついて出た自分の言葉におどろいていた。翔太を引き止めたくて、何か言わなくちゃと思ったのだ。「スーパーに行く道だよ。前に話したよね? せまいのに、すごく飛ばす車があるって。さっきもお母さんの横を、すごい勢いで車が通ってって、転びそうになった。」「え、大丈夫だったの?」 翔太が心配そうな目をする。それは、久しぶりに見た、息子の本当の顔に思えた。「あんなに危ないのに、小さな子も通るのに、あの道、ガードレールが付いていないんだよ。みんな、ガードレールを付けるべきだって言ってる。でも、ずっと付いてない。どうしてだと思う?」 翔太は少しだまってから、「予算がないんじゃね?」 と言う。予算......予算ね。そんな難むずかしいこと言うのかと思いながら、「お母さん、明日仕事に行く前に、役所に電話してみようと思う。」と、真由美は言った。 さっき思いついたばかりのことだった。どうしてずっと思いつかなかったのだろうとも思った。「やめときなよ。そんなの、意味ないよ。」「意味ないかどうかなんて、分からないよ。こういうことは、自分だけで悩なやんでいても、何も始まらない。頼たよれるところに、ちゃんと頼らないと、変わらないんだよ。」 すると、翔太がスマホをいじりだす。「ちょっと。聞いてるの?」「......それなら、こういうほうが。」と言って、翔太は何やらスマホの画面を真由美に見せた。役所のホームページ内にある、「請せい願がん・陳ちん情じょうの書き方」 というページだった。「何、何。」「えらい人に頼たのむ、正式な頼み方じゃない? ここにくわしく書いてある。個こ人じんより、団だん体たいで出したほうが効こう果かあると思うよ。」 「へえ......。」真由美は感心した。「そうか。じゃあスーパーの仲間たちにも声をかけてみるか。ありがとう、翔太。」 真由美の言葉に、翔太は照れくさそうな顔をする。でもその表情はまたすぐ暗くなる。無言で部屋を出て行こうとする。「待って、翔太。」 真由美はあわてて引き止めた。「あのさ、本当に言いたかったのは......。」 あんたが心配で心配でたまらないんだよ。「子供の悩みを知らないことが、大人はとてもつらいってこと。」 真由美が言うと、翔太はうつむいた。「きついこと、ずっと一人で抱かかえてるんじゃない?」 息子は何も答えない。「でもさ、いつまで抱えてく? きついことがあったときに、誰かに頼ることって、だいじな方法だと思うよ。弱さじゃないよ。お母さんじゃ頼りにならないって思っているのかもしれないけど、だったら学校の先生とかほかの大人とか、話せそうな人はいない? 大人に頼らないと解かい決けつしない問題もあると思うよ。」 途中でさえぎられるかと思ったが、息子は静かに最後まで聞いていた。「お母さんも、いつでも話、聞くよ。」 小さくうなずいた息子を見て、真由美は何だか泣きたいような気分になった。「はい、終わり。さて今日はイチゴがあるんだ!」 明るい声で言いながら、冷れい蔵ぞう庫こを開ける。自ら発光しているかのように、イチゴがまぶしく輝かがやいた。「結愛もおいで。イチゴだよ!」 真由美はふすまを開けた。 結愛はタブレットを見ていなかった。和室の奥おくで一人うずくまって顔をふせていた。「あれ、結愛? どうしたの?」 呼びかけると、結愛は小さく震ふるえだし、それから「わああああ!」と泣きだした。 真由美は近所を気づかい「しーっ!」と言った。 しかし結愛は泣きやまなかった。それどころか、いっそう激はげしく泣いた。「お母さんなんか! お母さんなんか......!」 ふりしぼるような声で「お兄ちゃんばっかり。」と言われて、真由美は気づく。私は今日、この子の話を一度でもちゃんと聞いたのか。 真由美は思わず結愛を抱だきしめた。しばらく泣きじゃくっていた結愛が、やがてゆっくりと母親の背中に手を回したのと同時に、翔太が顔を出し、「イチゴ、洗あらったよ。」と言った。 朝あさ比ひ奈なあすか 作家。東京都出身。著ちょ書しょに「人間タワー」「君たちが今が世界すべて」などがある。 読み物一覧へ戻る 関連作品 2023/04/03 コラルド・フェルナンデスと二人の娘 寺てら地ちはるな 物語 2023/10/02 君を知っている 佐さ藤とうまどか 物語 2023/10/02 新しい今 椰や月づき美み智ち子こ 物語 2024/04/12 ピンクの人魚 藤ふじ岡おか陽よう子こ 物語 カテゴリー 物語 (14) エッセー (14) 科学エッセー (4) 随筆 (5) イラストエッセー (5) ノンフィクション (4) コラム (9) お知らせ (3) 入選 (3)佳作 (2) 掲けい載さい号 第4号 2024年,4月号 第3号 2023年,9月号 第2号 2023年,4月号 創刊号 2022,9月号 創刊準備号 2022,4月号 人気の作品ランキング HOME 読み物一覧 冊子「青いスピン」 作品募集 リンク お問い合わせ プライバシーポリシー 本サイトに掲載している文章・イラスト・記事画像の無断転載を禁じます。 Copyright © 2022 by TOKYO SHOSEKI CO., LTD. All rights reserved.

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