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  歴史的な背景から言うと、エルトゥールル号事件(1890年)があります。オスマン帝国時代にトルコが日本へ派遣した軍艦が帰国する際、和歌山県串本町の沖合で台風の影響で遭難し沈没。600人を超える乗員のうち587人が亡くなるという大規模な海難事故が発生しました。そんな中でも串本町近隣の人々は危険を顧みずに救助活動を行い、69人を救出したという出来事です。この事件は、トルコが親日国家となるために最も大きな影響を与えたと言われています。 日露戦争(1904-05年)の影響もあると言われていて、これに関してはトルコに限った話ではないのですが、当時の列強国である西洋諸国を東洋の小国(日本)が打ち倒して「小さな国でも列強国に勝てるのだ」と証明したことでトルコを含める周辺諸国に衝撃を与え、途上国の憧れになったのだと思います。現在トルコに実在するかは定かではないのですが、このときにイスタンブールに東郷平八郎の名前を取って “東郷ストリート” が作られたそうです。こういったことが過去にあり、現在まで親日国としての関係が続いています。   ──現代のトルコと日本の関係について教えてください   阪神淡路大震災の際には、他の途上国に比べると早く大量の支援物資を届けてくれました。イラン・イラク戦争の際には、当時の日本の法律では自衛隊が派遣できず、日本人がイランに取り残されてしまう事態が発生したのですが、その事態を知ったトルコ政府が日本人をイラン国外に逃がすために航空機を派遣してくれました。一つ一つ挙げるとキリがないですが、日本とトルコの関係は良好だと言えます。 ──トルコが行った宮﨑さんへの対応についてどう思いますか?   かなり特別であったと思います。私も外務省に勤めていたことがあるのですが、首相のような実権者(当時のトルコでは首相が最高権力者)がメッセージを書いてくれるということは通常ではあり得ないです。今回の銅板碑の件を見るに、報告書が外務省に届いて外務大臣が首相に報告をして首相が自ら書くという判断を下したと思うのですが、普通に考えれば外務大臣で止まります。基本的に外務大臣が東京の大使館の大使に依頼して終わりになりますが、その話が首相まで行ったというのが、トルコにとって日本や宮﨑さんの功績が重要であることの表れではないかと思います。     トルコ・シリア地震への募金のお願い 2023年2月6日にトルコ南東部のシリアとの国境付近で起きたマグニチュード7.8の大地震はトルコ国内を中心に約4.5万人の死者を出し、16万棟を超える建物が倒壊または大きく損傷し、未だに被害を受けたまま放置された地域が存在しており、支援や復旧作業を必要としています。そこで、被災地への一助となるために大東文化大学でも宮﨑さんが所属していた政治学科が主体となり募金活動を実施します。宮﨑さんの人道的精神に習い、今もなお現地で苦しんでいる方々を救うために多くの方からの募金をお待ちしております。   《 募金活動の実施日 》 東松山キャンパス(キャンパスプラザ):4月24日(月)25日(火) 12:25~13:15 板橋キャンパス(中央棟階段下)   :4月26日(水)27日(木) 12:25~13:15 写真提供:認定NPO法人 難民を助ける会[AAR Japan] 本記事作成にあたり、御協力いただいた皆様に感謝申し上げます。   ※本記事は100周年記念プロジェクトを学生が取材、発信していく「学生取材企画」によるものです。 この記事をシェアする 一覧へ戻る RECOMMEND関連記事 学生取材企画 「学生取材企画」のディレクターを取材しました 2024.04.18 詳細 活躍する大東人SP 活躍する大東人100周年記念スペシャル #17 千葉 正樹 さん 2024.04.15 詳細 100年の書 「大東文化大学100年の書―書の大東を受け継ぐ人々―」を開催しました 2024.04.04 詳細 記念その他 【在学生・教職員の皆さまへ】創立100周年記念事業効果検証アンケートにご協力ください 2024.04.03 詳細 一覧へ お問い合わせ サイトポリシー プライバシーポリシー ソーシャルコンピューティングガイドライン 大東文化大学 板橋キャンパス〒175-8571 東京都板橋区高島平1-9-1 大東文化大学 東松山キャンパス〒335-8501 埼玉県東松山市岩殿560 大東文化大学公式サイト 100周年サイトTOP はじめに Back to the DAITO 100周年への取り組み 記念事業教育研究文化交流学生協働OB/OG交流特別レポート学生取材企画 メッセージと歩み 創立100周年について代表メッセージ大東文化大学の歴史 まんなか学部Topics 寄付をお考えの方へ SNS InstagramFacebookX(旧Twitter)YouTube Copyright © Daito Bunka University, All rights reserved.

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